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ぼくらの「自分の選択の結果でそこにいる」 感想
「ぼくらの」には何度も繰り返しいろいろなキャラの口から「自分の選択の結果でそこにいる」というセリフが登場する。
これについて感想を書きたい。
感想は原作を知らなくてもなんとなくわかるように書いたつもりだ。
既刊のコミック8巻までの事実でしかあえて感想は書いていない。

その状況を選んだのは自分だろ

コミック3巻、第10話「半井摩子①」で半井の母が「忙しい」を理由にする頭の悪いおばさんにこう言い放つシーンがある。
「その状況を選んだのは自分じゃねぇか!! それを言い訳にするんじゃねぇ!!」
同じく、コミック4巻第19話「本田千鶴③」の本田の姉の言葉にも同様に以下のセリフが出てくる。
「その状況になったのは自分にも責任があるんだよ」
「たぶんチズちゃんはいろいろな所で少しずつ選択を間違えた」

そして、ぼくらのの登場人物の中で、様々な意味で最も性質(たち)の悪い畑飼がコミック6巻 40話「切江洋介②」で、自分に騙されたチズの立場についてこう語っている。
「それが嫌なら本田が自分でなんとかしなくちゃな」
「だってよ、自分の選択の結果でそこにいるんだぜ」
「自分で解決することができなければ、誰かに相談すればいい」
「もしそれができる相手がいないのなら、そういう人生を選択してきた本人が悪い」
「まず本田がするべきなのは、自分に誤った点がなかったかを考えることだろ?」

いくつかはしょったが。
このクズ(畑飼せんせ)の一連の言動については別投稿で考えるつもりだが。
まずは細かい「選択の積み重ねで今がある」というところに的を絞って感想を書きたい。

「忙しい」の理由

時間は優先順位でしかない

「忙しい」という理由ほど、古今東西言い訳にならない言い訳は存在しない。
もし何かの理由を「忙しいから」という人がいたら、そいつは自分のやっていることの本質が常に見えていない人間だ。
「忙しい」訳はない。
時間は全人類に平等に流れている。全員に一日24時間与えられている。
違いは、「何を優先させるのか」それだけに尽きる。
忙しくて目も回るような生活をしている人間が居たとする。というか沢山いるだろう。その人間がブログでこう書く。
「今とても忙しいのでブログはしばらく休止します」
よく見かける。
全くなってない。ちゃんちゃらおかしい。
最悪の言い訳だ。
正確な言葉はこうだ。
「今とても忙しくてブログより優先順位の高いことが沢山あって時間を割くことができないので、ブログはしばらく休止します」
これが正しい言い訳だ。もっと本質を突くなら、ブログに時間を割く気は「ない」ということだ。
時間がないのでは決してない。他に優先させることがあるだけだ。ブログよりもっと時間をかけるべきことがあるだけだ。
「睡眠」「仕事」「食事」「会話」「TV」「遊び」
もっと時間があれば「ブログ」に回る。
ただそれだけの話だ。
ナカマの悪友の母親が「忙しい」のは忙しいのでは決して無く、自分が優先すべきことが他にあるというだけでしかない。

時間は強制的に作るもの

仕事が忙しくて一日3時間しか睡眠が取れない人がいたとしよう。
その人がそれだけ仕事が好きかどうかは関係ない。嫌いな場合もあるだろう。
だが、その状況を選んでいるのは自分自身だ。
他の誰でもその状況になったか。そう常に考えればいい。
殆どの場合、自分だからその状況になったのだ。
積極的に自らその状況を選んだのか、他の人なら全員が全員この状況になる訳ではないか、どちらかだ。
その一日3時間睡眠の状況でも、例えば自分の最も身近な人間が死んだとしよう。
どんなに重要な仕事をしていようが、その瞬間から何日か会社を休むだろう。
それは、仕事より弔うことの方が重要だからだ。

彼我は自分で背負うもの

当然人はみなが平等ではない。
取り巻く環境、自分の能力、健康状態、全ては違う。
その中には自分が選べなかったものももちろん数多くある。
しかし、条件が全く同じ人間など元々この世には誰一人として存在しないのだ。
例え一卵性双生児が同じ条件で育てられても条件は同じではない。
自分のハンデは自分で背負うしかない。
なぜなら、他の人はもっと関係がないからだ。

細かな"選択"で人は人生を織りなす

そして常にこう考えなければならない。
この世にいる全ての人間でも今自分がおかれた立場に絶対になったのか?
答えは 99.9% Noのはずだ。
自分の性格か、あるいは自分が選んだ細かい選択の積み重ねで常にその状況にいる。
人は"選択"によって人生を作り出していく。
ナカマの悪友の母親が時間がないのは自分がそういう状況を好んで選んだからでしかない。
チズがその状況になったのはチズの多くの選択の結果によってでしかない。
チズがその抜き差しならない状況から抜け出せないのはチズがそれを選んでいるからでしかない。
チズと全く同じ立場になってしまったとして、全員がチズと同じ悪循環のままなのか?
答えはNoだ。

徳も選択によるもの

チズの姉でもチズと同じ状況になったのか考えてみよう。
チズの姉も畑飼の悪意を見抜けなかったところまではチズと同じだ。
だが、その後畑飼と関係を持たなかったのは姉の選択だ。
畑飼は姉に迫らなかったようだ。
それはチズの姉の性格や行動が畑飼にそうさせたのだ。
これもチズの姉による選択なのだ。
ではこの後畑飼がチズの姉にチズと同じ悪意を実行したとしよう。
やはりチズの姉なら途中で畑飼の悪意に気づいたかも知れないし、気づかずにチズと同じ状況に陥ったとしても、その後すぐにその状態から抜け出す"選択"をしただろう。
ハンデは自分で背負うものだ。
だが、性格でうまく乗り越えてしまう例も多い。
それは全員が身の回りの人間を見てそれを実感しているはずだ。
しかし、その性格や「徳」を得たのも"選択"の連鎖の結果なのだ。

状況は自分が作り出すもの

畑飼の「相談する相手がいないのならそういう人生を選択してきた」という言葉は畑飼の子供だましの正当化とは全く別にして、正しいだろう。
もし、「相談する人が身の回りにいなかった」という人がいたら、それはその人がそういう人生を歩んできたからであって、周りにそういう人がいなかったのでは決してない。
親や兄弟や環境に恵まれなかったとしよう。それで抜き差しならない状況に陥る。
でも、その状態から抜け出せないのは自分以外の要因のせいなのだろうか?
もっとうまくやってのけて環境を変えてしまう人、周りが変わざるをえない人は必ずいるだろう。

全ての責任は自分に帰す

「ぼくらの」には「細かな選択でいまそこにいる」といった思想が何人ものキャラの口を借りて出てくる。
それが作者の思想なのだろう、何人もの違うキャラの口を借りて同じセリフが出てくる。
不幸をなげく人は自分の選択の結果であることを理解していない。
「忙しい」と平気で言い訳にする人はその典型的な例だろう。
そして、もう1つ付け加えるなら、全てのハンデはやはり自分に帰すのだ。
本当は違う。
容姿性格、恵まれたものと恵まれていないものの責任は、自分に帰すものではない。
そんなものを選択できる力は人間にはない。
しかし、それらは生んだ親が悪いのでも、他の誰かが悪いのでもない。
なぜなら「今そうしてそこにいる」のだから。
自分という存在が成立したから自分という存在がこの世界に認識される。
自分という存在の成立には恵まれていること、恵まれていないこと、それらすべての要素が必要だった。
そのどれか1つが違っていても今の「自分」は成立しない。赤ん坊のころに戻って自分の顔や性格を変更して世界を再び日走らせたら、その瞬間にその「自分」は消え、違う自分が産まれるだけだ。その前の自分は消えてなくなり誰にも認識されなくなる。
だから元々もった自分を自分としてその先の選択をし続けるしかない。
他の誰かが悪いのではない。誰かが背負うものなら自分しかいない。
もともともって生まれた素養はその後の"選択"の連鎖に影響を及ぼし続ける。
"選択"の連鎖は全ての状況を作り出す。
それら全ては意図していようと意図していまいと自分が責任を取らなくてはならない。
それが不平等である世の中なのだ。
その思想が「ぼくらの」の全編に流れ、押し出されている。

「ゲーム」は選択の連鎖の賜なのか

選択の連鎖によって引き起こされた状況は全て自分に責任があるという。
確かにそうだ。少なくとも他の誰かのせいでないことは確かだ。
では「ぼくらの」の強制的なゲームの参加もまた自分の選択の誤りの結果なのだろうか?
チズの姉の言い方からすればそうだ。
畑飼の場合は恐らく
「すべての選択が他者にゆだねられているっていう場合もないわけじゃないけど、そんなのは本当に特殊な例だぜ?」

の本当に特殊な例にあたるのだろう。
自然学校に参加したのも洞窟に行ったのも、契約に参加したのも、全ては自分の"選択"の結果だ。
少なくとも他の人によってもたらされた結果ではない。ただしココペリ(画楽)ともう一人を除いて。
事実宇白とカナは自分の選択でこのゲームに参加しなかった(ただしカナは結局参加している)。
だが、このゲームに選ばれたのは運がなかっただけだ。あるいは運があっただけだ。
そして、選ばれた後の一連の選択からは再び自分自身の"選択"なのであって自分が選んだ状況なのだ。
ハンデは自分で負わなければならない。
なぜなら他の人間はもっと関係がないからだ。
そして、このゲームをしかけた仕掛け人達もまた、"選択"によって全てを自分で選んだ結果なのだ。
このゲームの惨いところは、"契約"のみが強制であり、それ以外は全て自由であることだ。
自殺するのも戦闘しないのも逃げ出すのも自由。自分で決めていい。
だからそこには多くの選択肢が生まれ、苦悩が生まれ、その分より多くの状況が許されている。
「GANTZ」と全く同じ共通点だ。
そしてこの中途半端な自由意志を与えられることこそ、理不尽そのものであり、このゲームを仕掛けたり見たりする理由なのだろう。

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テーマ:漫画の感想 - ジャンル:アニメ・コミック

この記事に対するコメント
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【2010/08/23 01:14】 | # [ 編集]


黒煎りゴマ さん

コメントありがとうございます。
確かに厳しい意見ですよね。
言うのに躊躇する意見です。
私の中にもあった意見ですがあまり外に向けて発信したことは無かったなと思いました。

エリートの心構えというか、弱者のいい訳を許さないところからきているのかなと思いました。
確かに安易に「時間が無い」とまるで他人事のようないい訳をする人たちには、もっと本質を見抜いて欲しいと思うものでしょう。
特にそういう理屈がわからない若年層には極論ではありますが、一度触れておく必要のある理屈なのかなーと思います。
その上で、もっと中間どころに自分のお落しどころを見つければいいですよね。
「いい訳するな」というのが作者のいいたいことなのかなーと思っているのですけどね。
【2008/08/06 18:16】 URL | ちんちら #JalddpaA [ 編集]


お久しぶりです。
「その状況を選んだのは自分だろ」以下ですが、作者の意図する事は理解しつつも、厳しすぎる考え方だなと思っています。いわゆるエリートの心構えというべきでしょうか。適当に他人のせいにしつつ、のんべんだらりと生きる人生だって、それはそれでありだと思うのですね。でも、明日を担う若い世代にはむしろ進んで自分から責任を担うようになって欲しいものですね。
ただ、こういうという考え方は、自分に当てはめるのはいいとしても、他人を同じ行動原理で動かすのは難しいと思います。他人を動かすには、いわゆる人心掌握術が必要ですが、「ぼくらの」ではまだそこまで踏み込めていません。そこが喰い足りところではあります。
【2008/08/06 12:46】 URL | 黒煎りゴマ #- [ 編集]


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