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映画 「ガタカ」 感想 人は産まれながらの不平等 ならばせめて遺伝子だけでもハンデを背負わされずに産まれたい
ガタカガタカ
(2007/05/30)
イーサン・ホーク、ユマ・サーマン 他

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もってうまれたものを男も女も社会も求めるのなら、ハンデのないスタートをみんな切ればいい。それでなくても人は完全なものとはほど遠い存在なのだから。せめて遺伝子的なハンデなど持たないで産まれればいいと、私は思うのです。


遺伝子操作という設定以外、この映画はいわゆるSFではありません。サイエンス・フィクションではあります。
評論家達ほどではないにしろ割とよい映画でした。
映画そのものより、前提となる遺伝子操作という世界観に考えさせられる作品でした。

近未来、人は遺伝子操作によって産まれることが当たり前になっています。
最高の組み合わせを選び、遺伝的な問題を取り除かれ、恵まれてこの世に産まれます。
これに対し否定的な意見が多いかと思いますが、私は極めて賛成的です。

主役のビンセントは遺伝子操作を受けずに”自然”の状態で産まれることを望まれました。
産まれたときの診断は
「神経性疾患の発生率60%」
「躁鬱病の発生率42%」
「注力欠如の可能性89%」
「心臓疾患の発生率99%」
推定寿命は30.2歳。


弟は人工授精された受精卵を”選別”され、残ったのは健康的な男の子と女の子二人ずつ、遺伝性疾病の要因はなし。
両親は男の子の性別を選び、目の色、髪の色、肌の色を決めます。
若ハゲ、近眼、酒その他の依存症、暴力性、肥満などの好ましくない要因はあらかじめ取り除かれます。
両親は「子供の将来はある程度は運命に任せるべきでは」と疑問に感じますが、遺伝子学者はこう言います。
「子供には最高のスタートを切らせておあげなさい」
「それでなくても人間は不完全なものです(
字幕では性格的な欠点で十分)」
「子供に余計な重荷は要りません(
字幕ではハンデは無用です)」
「生まれてくる子はあなた方の分身です。それも最高のね。」
「自然に任せていたら1000人に1人出るかでないかの傑作ですよ」


人は産まれながら不平等です。
そして人自身こそが産まれながらにもっている素養を相手に求めます。当たり前に。
美人がいい、イケメンがいい、グラマーがいい、背の高い人が条件、スポーツマン、学歴。温厚さを求めることさえも。
産まれながらに持っているものを自分が獲得したものかのように人は誇ります。そして産まれながら持っているもので、華々しい人生を歩むことができます。
10人子供を産めば優秀でない子も優秀な子も生まれるでしょう。自然が一番だと人はいいますが、その自然の状態を差別しているのは人そのものです。
それなら、もっともいい状態で産まれることを望んで何が悪いのでしょう?
遺伝子学者の言葉が私には突き刺さります。「性格的な欠点で十分」

ビンセントは宇宙への憧れを抱き、ガタカに入ることを望みますが、遺伝子で不適正者(IN VALID)として弾かれます。
ビンセントは優秀な遺伝子を持つ人物と取引をし、その人物ジェローム・モローになりすまします。
常に遺伝子で身分を管理されている社会にあって、普通に考えたら無理ですが、現実はフィクションより奇なり、でしょう。
遺伝子を偽ったのはそうですが、その後ガタカで優秀な成績を残したのはビンセント本人の努力によるものです。
産まれたときの診断には誤診がありました。
それは、「何か強い目的を持ったときの能力開発能力、集中力」といった要因です。
実はこれこそが、真に偉大なことをやり遂げるための最も重要な素養だと私は思っています。
過去の偉人達、スポーツで快挙を成し遂げた者や天才と言われた芸術家や学者達と同じ遺伝子を持った者を生みだしても、同じことをやり遂げられると限らない、と私は思っています。
ただし、身も蓋もないことを言うなら、この素質自体が遺伝子によって差別されているとも感じます。
以前このブログで外科手術による「集中化」というアイデアを書いたことがありますが、集中化によって多くの人は何かの天才になれる可能性があるのだと思います。人格と引き替えに。

努力や集中自体を「遺伝子」によって制御されているという考えには否定的な考えや、否定せずにはいられない人が多いと思います。
でも、例えば一人でいろいろな大学に入り、いろいろな分野の学者になるような素質は遺伝子としてあることがすでに判明しています。どこまでが遺伝子の範囲で一体どこからが「その人」なのでしょうか?
本当に温厚な人物はそう努力したからでは決してありません。温厚になるのに努力など必要ないのです。本当に温厚な人間はそう生まれついているだけのことです。
薬1つで簡単に人は短気にも暴力的にもさせられます。人の性格などその程度のものではないでしょうか。この先集中力を高めることも、無気力を伴わずに温厚にすることも、もっと自然にできるようになることでしょう。
では、一体「自分自身」とはなんなのか?集中力や努力、何かに夢中になったり温厚さや短気の素養まで遺伝子の範囲であるとするなら。
そういった遺伝的要因を全て取り除いたときに残る「何か」が私は真に「その人」なのかも知れないと思っています。

映画の内容に戻りますが、ビンセントがジェロームになりすますのは、尿や血液をすり替え、体中のアカを毎日こすり落とすというものでした。
ここはちょっと意外に思いました。科学が進んだ未来でも結局古典的なやり方になるのか。
遺伝子そのものを乗っ取ることをやるのかと考えたのですが、確かにそれは遺伝子を選別することより次元が遙かに異なる高度な技術なのだと思います。
自分の遺伝子を外部から再構成できたなら、人は何にでもいながらにしてなりえます。そんな技術は知能の究極に位置するでしょう。
もっと次元の低いもので、精神面だけを移し替える方法ですが。脳移植など。

私は肉体的欠点を持っていますし、頭もそんなによくありません。黙っていても女性が寄ってくるようなイケメンでもありません。
もっと背が高く生まれつきたかったし、肉体的なハンデも受けないで生まれつきたかったですが、過去に戻ってそうして産まれさせれば今の私にはなりません。
今の私はそういった優劣や人との違いを人生の中に毎日毎日織り込んで”私”になっているのです。
でも、今の自分で居ながら、自然な形で胸を大きくしたり髪の毛をふさふさにしたり、背を高くしたりできたなら、それは人類の幸福なのではないでしょうか。
遺伝子学者は黒人で若いのに禿げていました。彼自身が”自然な子”として産まれ、産まれながらのハンデを背負わせたくないという強い思いを具現させていたのかも知れません。

人は逆境の中で強い意志を勝ち得、環境によってもたらされた強い意志や独創性が人類を発展させるのだと思います。
遺伝子の選別によって皆が優秀で産まれたなら、それはそれで新たな人類の後退を招くのでしょう。
でも、人が宇宙に進出しようとしたとき、我々は強制的にでも次のステージにあがる必要があります。
地球の中で生きている限り、人は地球と運命を共にします。
人が宇宙に進出するのは人類がもっと長い時間を生き延びるのに最低限必要なことです。
そのためには人は人の枠の中で最上の状態か、人の枠を超える必要があるでしょう。
宝くじがあたるように優秀な遺伝子を持った存在の出現に歓喜するなら、人類の手で神の宝くじをひいてみせてもいいではないですか。そうできるまでに我々も他の生命も地球も、十分な犠牲を払っているではないですか。”この先”に進まなければ今までの全ては無駄になります。ここで歩みを止めてはならない義務が人にはあるのではないでしょうか。
人が人という生命体の枠の中で限界に挑めばいいではないですか。更にその先の敵が待っているだけのことです。

映画自体は作品の遺伝子操作という要素以外は、偽りを気づかれたりどうにかしたり、犯人を推測したり、はじめはあえりえないような相手と恋をしたりといったごく普通のヒューマンドラマで、宇宙も宇宙船も未来の光景もたいして出てきません。
遺伝子によって選別された無機質な美しい女性をユマ・サーマンが演じます。さすがのユマ・サーマンです。
何人かの”自然の子”を愛する人々によってビンセントは最後宇宙へと旅立ちます。
ただし、彼は遺伝的にはIN VALIDでも、能力的には優秀なVALIDだったのです。
人は環境によって自分の能力を最大限に引き出せもするし、ほとんど引き出すことなく終わりもします。
ただ、私は思います。どんなに努力しても努力だけでは超えられない壁はあるのだと。全て適正に持って生まれた者にはわからない苦しみが世の中にはあるのだと。
いい遺伝子を持った者が幸せだとは限りません。ジェロームのように。
でもそれは劣った遺伝子を持った者にもそれ以上のことが言えるのです。
ジェロームの最後の悲しい決断は、劣っていても成し遂げられた者と、優秀であっても熱い思いを抱けなかった自分との決別だったのでしょう。
DVDの最後に出てくる二枚の板の意味がわかりませんでした。コンタクトではないようですが・・・

もってうまれたものを男も女も社会も求めるのなら、私はハンデのないスタートを切りたいです。それでなくても人は完全なものとはほど遠い存在なのだから。せめて遺伝子的なハンデなど持たないで産まれればいいと思うのです。

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テーマ:DVDレビュー - ジャンル:映画

この記事に対するコメント

最後のいたは爪でしょうか。
どこにいても自分の影は追ってきますね。可能性という言葉は呪いのようにも感じられます。
現代に生きる人間にも同じ事が言えますね。多くの人がこんな風な感情を淡く抱いて生きています。
【2013/12/13 09:22】 URL | #- [ 編集]


初めまして、カラクジラと言います。
僕はガタカに関しては、ストーリーよりも「遺伝子を誤魔化す主人公」という設定に魅力を感じました。そこに、ディストピア性と、それを覆す精神の匂いを感じ取ったからです。
あと、変な話ですが、「遺伝子的不利」を抱えた主人公の秘密を知って、助けてくれた人々(医者とか走れないヒロインとか、車椅子のエリートとか弟とか)って、みんな、遺伝子的エリートなんですよね。
もし、その「エリートの優しさ」さえも、遺伝子操作の産物だとしたら、この「ガタカ」って映画は、凄く怖いものを感じます。
【2012/06/03 16:19】 URL | カラクジラ #- [ 編集]

感想
何かを成し遂げようとするときに観ると勇気をもらえる映画だと思う。
目的に対して劣っていると思うからこそ
努力することが出来る
人間の原動力みたいなものなんだろうな。
【2011/10/28 06:20】 URL | さはん #- [ 編集]


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ガタカ

ガタカ ★★★★★(★満点!) 1番好きな映画(これまたイーサン・ホーク主演)「ガタカ」が、NASAが選んだ“現実的な”SF映画の1位に選ばれました!! すばらしいし、嬉しいです ガタカは分類はSFだけど、人間ドラマあり、舞台の近未来がかなり現実味を帯びて 食はすべての源なり。【2011/05/17 11:00】

ガタカ

自ら監督、脚本をこなしたアンドリュー・ニコルの長編映画デビュー作「ガタカ」。 近未来の社会を描くSFだが内容はヒューマンドラマといっても言い。 遺伝子工学の発達で、人の遺伝子までも操作できるようになった社会では、産れる前に劣性遺伝子を排除し優秀な遺伝子... Patsaks【2008/07/20 13:34】

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管理人の承認後に表示されます 【2007/09/14 09:03】