ちんちらブログ
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ガンダム名言集

HUNTERxHUNTER ハンターハンター 292話 「自問」 WJ-2010-07号 01/18発売 感想
最後書けていない状態ですが一応出させていただきます。
メモだけにしようかと思ったのですが。

2/21 書き損ねを埋めました




圧縮された時

ネテロは王との闘いのための移動の前、ゼノと一緒に一度王に目の前を横切られている。
このことから、心滴拳聴はスポット的に発動するものだと思っていたが、292話で心滴拳聴は常時ネテロが使用できるもので、使用していたことがわかった。

両の掌を合わせる

無駄

無駄があると王は言っているが、それはどうだろうと思った。
確かに生身で撃ち合うならその通りだろう。
しかし百式観音はそもそも接近戦用の能力ではなく、ミドルレンジ、ロングレンジ用の念能力だろう。
人体の動きにおいて、人間とは根本的に異なる速度を誇っているはずの王に対し対抗できるのは、ネテロの人体の速度が速いからでは決してない。
ネテロは王よりはるかに遅い速度で体を動かしている。
にも関わらずネテロが王を上回るのは王とネテロの間合いの差と、百式観音のリーチ、そして百式観音の動きそのものが王の稼働速度を遥かに上回っているからだ。
もしネテロと王との間にこれだけの間合いがなければ、あるいは百式観音の速度が王と同等以下なら、ネテロの両の掌を合わせる動作では王以上のスピードは出せなかった。

制約

つまりネテロの両の掌を合わせる動作は、百式観音を動かすための最小限の動きだとも取れる訳だ。
あの小さな動きであれだけの大きな動きをさせることができる。
最小限の動きでより大きな動作をさせる。
むしろ無駄のない動きではないだろうか。
そして、この「両の掌を合わせる」という動作こそが、念能力における「制約」になっている可能性が高いのではないか。
だからこそこの小さな動きで百式観音の大きな動作につなげることができる。
もしネテロの動きをコピーするだけの動きだったなら、むしろネテロの人体の速度ではそもそもの初めから王に対抗しえなかっただろう。

意味はない

ネテロが極めた両の掌を合わせる動作の体得を考察すのに意味がないというのは、いくつかの理由があって言っている。
まず前提となるのが、ネテロが体得した理屈を仮に理解できたとしても、なんらの攻略の糸口にはならないからだ。
次に、到底理論だてて身につけたものではない以上、そのプロセスを考えることは自らもその人物の特殊な思考に入りこむことになり、個の違いそのものなのだから、それを理解しようとすること自体が無意味であるし得るものがない。
そして、理で常に考える王にとって、王にはおそらく導き出せるものではない。

5年10年

王がネテロの体得期間を5年10年と絞ったのは根拠がよくわからない。
3年だと短く、20年だと長すぎるという消去法的感覚なのだろうとは類推できる。
しかし、それこそ個の違いによっていかようにも変わる部分ではないか。
生まれた時からそれを追い求めていたかも知れないのだから。
この5年10年という言葉には、読者に明かした事実が王に影響しているように見えてしまう。
むしろ王を通して読者に対する新たな事実を伝えるのが目的であるかとさえ考えてしまう。
ネテロが心滴拳聴を身につけたのは47歳だと書いてしまっていたが、52~57歳なのだということなのかも知れまない。

悟り

ネテロの両の掌を合わせる動作や、百式観音を具現化させていることから、ネテロの能力そのものは「悟り」である。
というより、ネテロの本当の能力は百式観音ではなく、心滴拳聴だということだ。
百式観音という能力自体は今のところそれほど他の様々な能力になりえる念能力の中にあって、大きなアドバンテージを誇る能力には思えない。
今の時点でネテロが王とここまで対等に渡り合えたのは、百式観音の力ではなく、心滴拳聴の能力があったからだ。
今までの王の闘いの通り、普通の人間なら王の尻尾の一振りで決着はつく。
ネテロが唯一王に勝る能力は百式観音ではなく、心滴拳聴だろう。
そうならないのは、ネテロに心滴拳聴があるからだ。
ネテロが今まで様々な念能力者に常勝してこれたのも、まさに心滴拳聴の能力があったからだろう。
発動したが最後的な能力である、例えばフェイタンの「許されざる者(ペインパッカー)」 、例えばオロソ兄妹の「死亡遊戯(ダツDEダーツ)」でさえ、心滴拳聴があれば交わすことが可能に思える。

予想通りの無傷

ネテロは現段階で百式観音で王を傷つけるのが目的ではないということを吐露している。
1つには百式観音という念能力そのものが、一撃必殺の類ではそもそもないからだ。
不思議なのは、ピトーとの空中戦で見せた異次元空間からの攻撃のような特殊攻撃の付加が現在のところ全くないことだ。
むしろ、ピトーとの空中戦の設定を持てあましているようにさえ見えてしまう。
それはさておき、ネテロが王を傷つけるのが目的ではないのにも関わらず、ここまで執拗に攻撃を繰り返しているのは、制約を満たすためだということだろう。
つまり百式観音とはそもそもそういう能力なのだろう。
これだけ敵に攻撃を与えていて決着がついていない時点で本来念能力の選択ミスとしか私には思えない。

一個が修練の末届き得る限界それを卓越した希有な事例

卓越とは超えることではなく、その中で最上になるという意味だ。
つまりネテロは人や個を超えたのではなく、人や個の範囲の中で最上の存在になったまれな存在だと言うことを王は言っている。
事例という擬人を排す言葉を使ったところが、王らしいだろう。
つまりネテロの能力や存在そのものを、ネテロという人間として見ているのではなく、多くの人間の中から出てきたたまたまの現象程度に捉えているからなのだろう。

上から目線

その王の言葉にネテロは切れて「上から物言ってんじゃねえぞ」と言っているが、これは本当に上から目線の言葉なのだろうか?
これはネテロの王に対する先入観がそもそも大きいということが前提になっているのではないか。
王は特に見下している訳でもなく、心から賞賛しているとも取れる。
そして、生物学的に、人間がゴリラの腕力に適うことはないように、人間がチーターより速く走ることがないように、王の認識している能力の違いは事実であって、そもそもそこに劣等感やあまつさえ怒りを感じることそのものが、おごりであるといえるのではないか。
王のそれらの解釈や言動を見下しているという方に取るネテロは、それだけプライドが高い人間であるということに過ぎない気がする。

傀儡の拳

百式観音が傀儡の拳というのは今のところ本当だろう。
決まった型通りの動きしかしない。
オートで動く訳でもない。
特殊能力も付加されていない。
繰り出される軌道は常に変わることはない。

老愁

王がネテロを「老愁の戦士」と称したこの老愁という言葉は気になった。
老愁という単語は多分ない。造語の類だろう。
愁はうれいで「老い」を憂いているという意味にも取れる。

無限の技

おさらいからすると、百式観音の1つ1つの手はネテロの所作によって決まり、一度決定されたら後は型どおりに攻撃を繰り出す、木偶人形のような能力だ。
それら攻撃が王にとって有効である理由は、百式観音の動きが圧倒的に速いからだ。
王が百式観音の攻撃を交わすには、技を見てからの反応では不可能だ。
そこで王が取った戦法は、百式観音の今まで見た技では対応できない角度からの攻撃だ。
百式観音は一度技が発動されてしまうともう型以外の攻撃しかできないという致命的な弱点がある。
だが、百式観音の攻撃自体は王より遙かに早いのだし、型が一定でも放つ方角は当然変えられるだろう。
さらにわからないのは組み合わせが無限と言っているところだ。99の技なら99x99=9801パターンではないのか?
王が言っているのはまるで王も百式観音も一定の方角、タイミングからしか動かないような単純な世界に落とし込んでいる。
王はまるで攻撃が何連続も続くかのような言い方だが、戦いを見ている限り王がネテロへまで辿り着く戦いは百式観音1つの技のみに見えるが。
それとも、ネテロの元へ辿り着くのに百式観音の技を何十通りと避けなくてはならなくてそれが無限ということに繋がるのだろうか。
それなら王は空中で攻撃への角度を変えられるか、あるいは全ての技が捉えきれない角度の攻撃があるということになり、これも考え難いだろう。

正確無比

さらにわからないのは正確無比ということだ。
王が1度見た技なら対処できるというなら、やはり99通りしかパターンはないのではないのか?
ネテロが次の技を正確無比に選ばないとならないというのはどういうことなのか?
一度見た技でも組み合わせによって王は対応できないというのなら、それでもネテロの元まで2撃としても9801パターンで無限という比喩とは著しくかけ離れている。
さらに、どういう仕組みの無限のパターンなのかわからないが、その中でネテロが最善手を打ち続けなくてはならないのはどういうことか?
ネテロの言葉通りならまるで次の技がほとんど選択肢がないように取れる。
しかし王が予想できないのは「対応できる数/無限」であり消去法的な数とは真逆のはずだ。
つまり、この戦いは実は軍議になっているということなのだ。
軍議がそのまま打撃戦にあてはめられており、ゲームのように向きも技の数も決められているので最善手を打ち続けなければならないという説明に繋がるのだが、打撃の手と考えるとどうもしっくりとは当てはまってこない。格闘技をボードゲームのような単純さに落とすには説明が不足しすぎているのだ。
3次元を2次元に当てはめようとしてどうにも説明が付かない状態になっている、そんな悪手を感じる。

百式の零

百式の零でわかったことは、ネテロの百式観音はぴったり100の技しかないということだ。
はじめから零が放てないのは当然制約によるものだろう。
ネテロは王が百式観音を攻略し四肢もがれた時零を見せると言っている。
つまり制約は時間とか99の技を全て出さないと撃てないといった制約では無く、ネテロが技を破られた時、あるいは傷ついた時にしか撃てないということなのだろう。
このことからも、ネテロはこの闘いが生涯最後の戦いになることを前提に闘っている。
もうネテロはこの先闘うことはないだろう。
勝つことはありえないが、命が助かったにしても、ネテロはこの戦いが戦士としての最後の全力戦となることをはじめから覚悟している。


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テーマ:HUNTER×HUNTER - ジャンル:アニメ・コミック

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